わたしは花屋で絵描き。 去年から絵画教室を開講した。
2012年に大曽根の店の壁に壁画を描いてから思いもよらない人生が始まっている。
(名古屋市北区大曽根の商店街にあるウチの花屋の壁に描いた12m×7mサイズ壁画。)
あの壁画を描いた時、街の為でも何の為でもなく、ただ大きなキャンバスができたので描いた。それまで隣のビルで見えなかった真っ白な大きな壁が始めて顔だした。描きたかった。
こんなに大きな絵描いた事もない。描きたかった。その為には足場を組まなくちゃいけない。更地になった隣の土地を少しお借りしないといけない。ダメ元でお隣に相談してみた。
お隣の土地との境界線が曖昧で計測をし直さなければならないらしい。その申請に約一ヶ月かかると。
チャンスが降って湧いてきた。
申請が降りるまでの空白の一ヶ月間ならば足場を立てて良いと。こんな事が起こるもんなんだと目ン玉ひっくり返りそうだった。目ン玉ひっくり返ってる時間はないのですぐさま足場屋さんに連絡。一日でも早く足場を立ててもらいたい。下絵を描き起こす時間ももったいなかった。頭の中にある下絵を便りに始めた。それがどれだけ大変だとか考えないで。
「12m×7mの面積を小指程の細い筆で塗る」という事がどんな具合なのか想像できていなかった。この頃ライブペインティングを始めていて、2時間でどれだけの量が描けるかがだいたいわかってた。一日15時間×25日間描き続ければ頭の中にある絵が描ける計算で始まった。
(4段ある足場の一番上に怖くて上がれず3段目から描き出す。3段目を描いてるうちに上へ上がれるようになった。)
カフェとバーも営業しながらだったけど、強力なスタッフに助けられ時間を作ってもらう。夜間は洞窟に入る探検隊のライトをおでこに装着して描いた。職質2回受ける。この期間はウチにはお風呂に帰るだけで足場の上で寝たり店で寝たりしていた。
描いてる間壁に向かってずっと自分と話をしていた。誰に頼まれるでもなく自分で始めた事なのに途中数回泣いた。
足場にいると声をかけてもらえたり差し入れを頂いたり、何より楽しみにしてくれている人にたくさん出会えて何かが変わってきた。この絵がきっかけで友達もできた。出会いもたくさん。絵の確認の為何度も登ったり降りたりして生まれて始めて腹筋が割れた。よくアスリートが「たくさんの応援のおかげで」と言うけれど、アレはよくあるセリフでもなんでもなくて間違いなく本当にそうです。
とても無謀な事をしていたと思う。あんまり賢くなくて良かったと思う。おかげで無茶苦茶な無謀な事をしてほんとに良かったと思う。自分でなんとなく作ってた限界の線は少し上がって45歳(当時)で普通のおばちゃんでも限界超えって全然できるんだと実感した。
この壁画が新聞の一面を飾る事になって、テレビの取材を受けたりする事が起こる。
普通に花屋として普通におばちゃんとして一般市民として生活してきて、新聞の一面に顔がでる事があるなんて誰が想像するだろう。どんなテンションでいればいいのか分からず、未だに狐につままれたようにも思えてたまま。大阪の実家に新聞を送ったら
「犯人じゃなくてほんまよかった!よかった!」と。犯人じゃなくてほんとに良かった。
この壁画をきっかけに今が転がりだしてる。人生なんて何が起こるかわからない。
今も壁画の前で写真を撮る人を見かけると凄く凄く嬉しい。嬉しいけどはずかしいので店の奥にスーと入って花屋の仕事をしてるフリをする。このややこしいなんとも言えない気持ち分かってもらえるだろうか。
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